2012年5月8日火曜日

訃報、ファイターズ通り応援団!

札幌市東区役所の近くにある通称、「ななめ通り」現在は「ファイターズ通り」と呼ばれる事も多々あるが、
そこにある商店街の小さな古臭い酒屋のオヤジがファイターズ通り応援団団長です
ファイターズが北海道に拠点を移し、室内練習場や選手達の寮が近くに建設されると云う事で、逸早く
ななめ通り商店街の名称をファイターズ通り商店街に改名して町興しに情を出した立役者です。

その当時、ヒルマンが監督をなされた時は結構テレビ、雑誌に取り上げられて(ワタシも何度か一緒に)
古びた商店街にも、若造達がここでお店を開きたいとスープカレーやラーメンのお店も出来て、
シャッターが閉まったままの「テナント募集」の張り紙も消え、札幌よさこいソーラン祭りの会場もなり、
商店街の歩道にはファイターズのロゴがプリントされて、「乾いた風」しか吹かなかった商店街が、
「熱気を帯びた熱い風」が吹くようになった。一気に変貌を遂げた商店街に「メディアのチカラ」は凄い!
とワタシ自身、実感させられた記憶が未だに残っている。「仕事抜けてチョッとおいでよ!」「帰りよりなよ」
等と、こんなワタシみたいな者にも気さくに声を掛けて頂き、仲間に入れてもらい、
ホント、いろんな事にも参加させて頂いた消してはならない!良き思い出だ!

そんな、ファイターズ通り応援団 団長がお亡くなりになりました。(死因は膀胱癌らしいです)

ワタシが団長と知り合ったのは、2004年のファイターズが本拠地を北海道に移したときにさかのぼる、
選手もまだ来ない雪深い2月に(故)大沢啓二元監督(親分)1人が乗り込んで来ていまして、
都合もよく、親分を囲む席に同席させて頂いた。
親分は「北海道はジャイアンツファンでいっぱいだ!その中にファイターズも入れて下さい」
「選手達は一生懸命やってる!どうかファンになってくれ!」と頭を下げ土下座までしました。
その熱意に推される様に「よし!」と親分を囲んだ有志達が言ったまでは良かったが、
その矛先はワタシに向かい「若い子が行かないと盛り上がらない」「みんな集めて頼むぞ!」と・・・
なんかワタシも勢い付いて「ハイ!」って言ってしまったから、もう~大変!
集めようにも集まらない!しかし、その後、新庄剛選手のサプライズな入団発表があり、
一気にファンクラブの会員数が爆発!溢れ出した!(野球の知らない方多数あり)

ファンクラブの会員数もいっぱいに成った事だし、ワタシの出番も此処までとホッとしたのもつかの間!
あの親分を囲んだ有志達から、「ちゃんとドーム行って声出して応援しないとダメだぞ!」
親分さながら「渇っ!」が入る。(ワタシはジャイアンツファンです)しかし、親分と逢えたのもご縁と思い、
ドームに行く事に、しかし仕事を終えて向うもんだから、自由席は空いてない!空いてるはずもない
ひとりで二つも三つも席取りして荷物を置いている人が多くて、例え空いていても座らせてくれない!
また、いつも同じ人がそんな事して!そんな事が何回あっただろう?もう頭に来てなぁ~!
居ても経ってもいられず、ファイターズの球団に今迄の経緯を話し「どうしたらいいですか?」と電話したら
今は定年退職して在籍してないが、事業本部のデレクターTUTIDAさんが出られワタシの気持ちも
解って頂き、すぐに二つ返事で、紹介してくれたのが、ファイターズ通り応援団団長 加賀谷 煕さん
でした。其れからというもの、何時にドームへ行っても席を取っていただき、何人で行っても、気持ち良く
「ここ座れ!」等と対応してくれてなぁ~いつも団長が居る訳でもないが、いない時はいないなりに
OHTUKIさんやMAENOさんが対応してくれて・・・みんなに良くして頂いた!
お陰様で優勝した瞬間にも立ち会う事も出来たし、みんなでビール掛けもしたし、
グランドに降りてGOGOファイターズ踊ったし、書き込んじゃいけない、楽しい思いにも参加させて頂いた

梨田監督がどうも、余り良い印象が無くて、ドームへは遠ざかっていましたが(ジャイアンツは行ってます)
今年、栗山監督になり新生ファイターズを応援に行こうと思ってた矢先!行く前に団長に挨拶してから
と思っていた矢先の・・・訃報です。本日の書き込みは長くなりましたが、まだまだ書きたい事は
たくさん、数え切れないほどありますが、この辺にしておきます!

心よりご冥福をお祈りします。ワタシみたいな者を受け入れて頂き有り難う御座いました。
いち早くワタシに一報をくれたSIGAさんに感謝します。


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